コラム 伊都黄昏日誌 橋本市

彦太郎の伊都黄昏日誌 第二話「1970年代、橋本駅周辺には活気があった」

おい!なんもないんかーい!

昭和42年生まれ、53歳、彦太郎です。

今の橋本駅周辺ってシャッター街の印象でパッとしませんよね。

高野山と地産の野菜や果物、美味しい食堂やカフェを繋ぐHUBなのに、駅に降りてもお出迎えはまことちゃんの石像。そして、閑散としたロータリーと学習塾しか入ってない商業施設。

高野山に行く前に大きなステーションだから少し散策してみようって下車した外国人旅行者が「おい!なんもないんかーい!」と雄叫んでいる姿が目に浮かびます。

今回は、そんな橋本駅の最盛期の思い出を私なりに伝えられればと思います。

結構リニューアルされましたが、太平洋戦争の時、米軍の戦闘機に機銃掃射された際に壁に残った弾痕は記念碑的意味合い込めて今も残っています。
楳図かずお先生と橋本市の親交の証!なんでも先生は上京する前は実家の五條から橋本に散歩しながら漫画のアイディア捻出していたそうです。すげー

JKに翻弄される彦太郎少年

子供の頃、菖蒲谷出身の私は近くの山田小学校でもなく、紀見小学校でもなく、何故か電車でしか行けない橋本小学校に通っていました。

6才からランドセルにゴム紐で定期券をぶら下げて、上級生に蹴られながら橋本駅から橋本小学校までせっせと歩きました。

今から47年前の当時、橋本駅はすごく賑わっていて、電車やバスは貴重な交通手段、橋本駅は南海とJRの2本のラインが通っているためいろんなところから人の流入があり、老若男女が入り交じりすごく活気があったのを覚えてます。

駅の近くの裏路地に隠しニチイがあったり、駅の西側の商業施設には喫茶店、本屋、靴屋、オーディオ店、ファンシーショップなどの店舗が入っていたり、当時の流行発信基地の役割を担っていました。

また、パチンコ店も駅近くに3店舗もあって「勝った!」「負けた!」の感情表現がダイレクトな大人たちがたくさんいて、リアルな喜怒哀楽を観察することもできました。

駅から南に位置する本町商店街には駄菓子屋あり、レコード屋あり、おもちゃ屋あり、猟銃店ありで、子供にはなかなか刺激的な通りでしたのでメイン通学路にしていました。

少し怪しげなスナック通りの先に映画館もあって、本町商店街のアーケードの入口に立てかけられる映画の看板が変わるのが楽しみで仕方ありませんでした。

数々の青春群像劇を見てきたこのビルも、いよいよご隠居のようです。
ここが本町商店街の入り口、かつてはアーケードもあって、右手の青い看板あたりには映画の看板がありました。

さらに、賑わいに花を添えるのが橋校、笠校、伊校、紀北、伊農の5高校の思春期の学生が入り乱れ、恋に喧嘩に明け暮れる青春スポットでもあったのです。橋本駅きっかけで恋を成就されて結婚した夫婦も沢山いるのかと思います。

当時の小学生からしたら高校生は立派な大人という感覚、怖くて近寄れなかったです。

そんなある日、駅のホームで帰りの電車を待っていた彦太郎少年は、向かいのホームにケバいJK2人を発見します。

お二人はうんこ座りでタバコを召し上がっていました。僕が無垢な眼で興味深げに見ていることに気づいた彼女たちは、何とスカートをめくり上げ下着を見せつけてきたのです!!それはハレーションを感じるほどの見事な白でした。JK達は僕が鳩が豆鉄砲くらった状態なのを見て大笑い。小学校低学年には刺激的すぎる大人の悪戯です。僕の熟女好きはその時目覚めたのかもしれません。

でも当時私が8歳としたらJKは16、7歳。今では還暦前のマダムなんですね。感慨深い。

五條行きの中央ホーム、この画像では真ん中より少し右手に見える休憩所あたりで「JRオパンテー事変」は起こりました。幼少期のうぶな僕に強烈な癖を芽生えさせたあの出来事・・・

橋本駅周辺が活気を取り戻す日が来ることを信じて…

お下品な思い出話を語ってしまいすみません。

今はコロナで難しいけど、世の中が正常に近づきインバウンドで海外からの旅行者が増えれば、やり方次第では活気ある橋本駅が戻ってくると信じています。

また、橋本には城山台や三石台のブームで他県から多くの方々が定住されています。がむしゃらに働き、住宅ローンを払い終え、子供も育て上げ、気がつけば黄昏時といったご夫婦も沢山おられるのではないでしょうか。

なので、これから改めて橋本、高野山エリアの魅力に気づいていく世代が増えると思います。

また、企業のテレワークの導入で場所を選ばず働けるということで、土地が安い高野山エリアは今後注目されるかもしれません。若い人たちが通勤せずにきれいな山を眺めながら仕事できる高野山エリアの魅力に気づいてもらえるよう、高野回道でもがんばって魅力を発信していけたらと思います

なお、下着の話は高野口がパイル織物のシェア80%を誇っていたということもありあげさせていただきました。 ではまた次回。

つづく

今回のスポット

当時の流行発信基地

映画の看板が変わるのが楽しみで仕方がなかった、本町商店街の入り口

JRオパンテー事変現場

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